羊が草を食んでいた =中国出張報告=

 以下は、1993年3月27日から31日まで、はじめての中国出張の報告です。当時、社内報に載せた原稿を、13年後の2006年8月17日、ここ(BizPal)に入れました。

■ ハルビン

 3月27日11時50分発のJALで福岡へ。ハルビンへの飛行ルートは限られており、その日のうちに着こうと思うと複雑なルートになってしまう。今日は、福岡から中国国際航空で大連に入り、大連から中国北方航空でハルビンに入る。1日に3回も飛行機に乗ることになった。

 17時に大連着。空港というより飛行場と呼ぶのがふさわしい簡単なターミナルビルである。空港利用税15元を支払わねばならないのだが、両替所が閉まっていて、円から元への両替が行なえない。

 ハルビンに着けば合弁会社黒龍江伊思特(コクリュウコウ・イースト)の洪海先生が出迎えてくれるし、金の心配はなくなるのだが。

 市内の両替所が一覧表で貼ってあるが、市内までは車で15分。タクシーは円で乗れるだろうかと思案しながら税関チェックを抜けて外に出たら「歓迎下川和男部長」の紙を持った人がいて驚いた。住友倉庫大連支店の唐さんと黒龍江伊思特の唐亜珠(女性)で、心配になって迎えに来たとのこと。これで一件落着。

 30分ほど時間があるのでターミナルビルの喫茶店でコーヒーを飲みながら唐亜珠さんと話した。彼女は美しい発音の英語を話す。こちらはブロークンというより"やぶれかぶれ"イングリッシュだが、すぐに話題がコンピュータになったので助かった。

 コンピュータなら技術用語を並べておけばよいので会話が楽である。if、while、goto、shiftなどと言っておけば会話ができてしまう!?

 彼女が「日本語の入力はどのように行うのか」と質問するので、最近肌身離さず持ち歩いているDynaBookV486をカバンから取り出し、カナ漢字変換E1Winを使って説明した。

 カラーノートパソコンが珍しいためか、喫茶店の客が皆こちらを見ている。調子にのって、hDraw、Vince、Telop、・・・と派手なソフトをどんどん動かして説明する。Telopを見て「これはチャイルドウィンドウか」と聞くので、詳しくは知らないが「YES」と言った。

 中国北方航空の切符は便名と行き先のスタンプが押してあるだけで、座席は決まっていない。中国の人は列を作らないので、改札口は黒山の人だかりである。改札が始まると押すな押すなで、ほとんどケンカ状態になる。

 改札を出ると飛行機までの100メートルほどを皆、良い席に座るために走っていく。こちらもつられて10数キロの手荷物を引きずりながらダッシュ、ダッシュ。

■ ハルビンにて

 21時過ぎにハルビン着。洪海先生に迎えられて黒龍江大学へ。街灯のない夜の道を車でつっ走った。

 車のライトの届く先まで、道の両側に美しいポプラ並木が続いている。ハルビンの街を過ぎて10分ほどで大学内の外国人向け宿泊施設「外事処」に到着。立派な建物で、部屋にはカラーテレビや冷蔵庫も置かれ、ホテルと同じサービスが提供されている。

 ここに3泊し、朝食、昼食もここの食堂で食べたが、美味しかった。北京系の料理を田舎風にし、ロシア料理の影響を受けたような献立で、一皿に4、5品が乗っておりしっかりした味がついている。朝はお粥、昼は日本風のご飯がつく。パサパサのインディカ米ではなくジャポニカ米のようである。

 ハルビン出張の目的は、昨年の8月に設立した合弁会社黒龍江伊思特の第1回株主総会への出席である。折角行くのであれば、セミナーくらいやりましょうということで、Windowsや最近のコンピュータ技術についての解説を行うことにした。また、ジョイントベンチャーとして今後どのような関係を持つべきかを探る目的もある。

 セミナーのために資料を作ったが、WindowsGUI、PostScript、DTPなどについて、この4、5年間の日本でのセミナー資料や原稿をまとめた資料を持参した。

 2日目と3日目の午前中、セミナーを開催したが、参加者約20人。黒龍江伊思特の社員や大学の日本語科の研究生、コンピュータ研究所の職員などが熱心に聞いてくれた。DynaBookセガテラドライブの14インチのモニタをつなぎ、実際に動きを見せながら、WYSIWYGとは何か、オブジェクト指向の操作とは何か、Windowsでのアプリケーション開発のポイントつまり、しっかりした設計、標準データ形式の尊重、標準操作方法(CommonDialogなど)の尊重、OLE、DDEの活用、そしてunicodeなどを説明した。

 黒龍江大学の助教授で黒龍江伊思特の副社長でもある洪海先生に通訳してもらった。洪海先生は東大と北大で学ばれ、日本で博士号を取られているので、日本語はペラペラである。

 株主総会は3日目の午後行われ、第1期の総括と、次年度の目標を討議し、決定した。現在の中国には「大而全、小而全」という方針があり、工場、機関(官庁,団体,学校など)などの単位で生産、販売から従業員の衣、食、住、教育までを行う体制が出来ている。

 黒龍江大学も中国東北地方第2の都市、人口250万人のハルビン市最大の総合大学で、1学年約1000名、先生やコックさんなどの関係者を合わせると1万人規模の組織となっている。

 この組織を単位として勝手に事業展開が行なえるという日本以上に資本主義的な制度があり、この制度による最初の合弁私企業が黒龍江伊思特である。しかも最初から海外との提携ということで、大学側のこの提携に対する期待は非常に大きい。

 黒龍江伊思特には、ソフトウェア開発部門と印刷部門があり全社員約100名の内、印刷関連のデータ入力や実際の印刷、製本関連の仕事に80人、残りの20名ほどがソフトウェア技術者である。日本に4人、港のコンテナ管理システムや大慶油田システム開発のために現地に行っている技術者もいるため、ハルビンには10名ほどが残っている。

 大慶油田の油圧測定システムでは8ビットマイクロプロセッサを使用した回路の基盤設計から基盤の製造そしてアセンブラによるソフトウェア開発までを行っている。最近受注した大慶油田の安全管理システムでは、C++を使って学習機能付きの知識ベースシステムを構築するとのこと。

 ほとんどが公務員として国営企業に勤める中国社会で、黒龍江伊思特のような民間企業に勤めようと思う人は、よほどのやるきが必要だが、最近二人の女性が国営企業を辞めて中途入社した。一人が回路設計を含む油圧測定システムを開発し、もうひとりがチャイルドウィンドウの唐さんである。二人とも技術者の顔をしている。

 夜は3晩とも宴会が催され、いつも食べ切れないほどたくさんの料理が並ぶ。酒は50度近い地酒で、一口で身体が火照ってくる。これを乾杯で飲み干すのがマナー。

 2日目の夜は学長先生の招待で学内のゲストハウスで宴会。最後の3日目は社長の趙林虎さん主催でハルピンの街へ繰り出した。有名なギョウザの店に行ったがあまり美味くない。食堂も大手はすべて国営のため今の地位に安住し、どんどん手をぬいているとのこと。「過信と怠惰」身につまされ。

 黒龍江伊思特は大学のキャンパス内にあり、静かでアカデミックな雰囲気に溢れている。雑多な東京ではなく、ここに来てソフトウェアを作ったほうが、じっくり考えたよい製品が作れそうだ。冬の零下20度には耐えられないと思うので、4月から10月まで誰か篭ってもらおうか。元気になったら企画してみよう。

 ハルビンでの3日間は、あっという間に過ぎた。初日、大連に迎えに来てくれた唐さんはまだ帰ってこない。中国は交通事情が悪く飛行機や汽車の切符がなかなか手に入らない。大連ハルビン間は汽車で10数時間。心配になって洪海先生に尋ねたところ、「まぁ、そのうち帰って来るでしょう」と人口11億人の国らしい答えが返って来た。

■ 北京にて

 最後は北京に1泊して成田に戻った。はじめての中国そして北京だが、ハルビンは日本の50年代、北京は60年代のような雰囲気がある。ハルビンの風の冷たさ、ごみごみした街並は子供の頃を思い出す。北京の雑踏と2000年のオリンピック誘致のスローガンは、東京オリンピック前の高度経済成長期の日本を彷彿させる。

 日ごとに変化する北京の街にガイドブックも追い付けないようで92年版の解説や値段がもう違っている。FMラジオからはママスアンドパパスやシャレードのテーマ音楽が流れ、帰りの飛行機の小さな液晶テレビで見たラップビートとのギャップが強烈であった。

 北京の繁華街王府井の入り口にはチョットしたデパートほどの大きさのマクドナルドが聳え立っている。ハンバーガが1個8元(160円)。北京に来たお登りさんがそこで記念撮影をしているが、近くの露店ではギョウザや麺が1元で売られている。誰が何といおうとMade from USAより露店の2個1元の包子の方が美味しい。貧富の差も著しいようで、マクドナルドにベンツで乗りつける若者もいる。

 天安門事件で戦車が列んでいた北京空港への道路も今は静まり返り、道端では4月のおだやかな日差しの中で、羊が草を食んでいた。