古川さん、お疲れ様でした

 先日、XMLコンソーシアムのセミナーで平野さんとご一緒し、私は「ソーシャルネットワークとブログで変わる世界」、彼は「社長ブログ」について解説した。その社長ブログ(http://www.hirano.com/blog/)を眺めていたら、「古川さん、お疲れ様でした」(http://hirano.com/blog/archives/05061132.html)ということで、マイクロソフト株式会社の古川さんとの交友が書かれていた。

 以下の通り、ニュースが流れ始めたようだ。

http://www.microsoft.com/japan/presspass/detail.aspx?newsid=2310

http://japan.cnet.com/news/biz/story/0,2000050156,20084339,00.htm

http://pcweb.mycom.co.jp/news/2005/06/11/002.html

http://arena.nikkeibp.co.jp/news/20050610/112452/

  

 私が古川さんと初めてお会いしたのは、1981年頃だった。当時、麹町の第一勧銀の隣の着物工芸「錦屋」ビルの4階にエイセルという会社を設立し、ミニコンを使ったCAMシステムやマイコンを使ったシステム開発を行っていた。沖電気のif800の試作機にCP-M/80を搭載し、そのアプリケーションをアセンブラで開発する仕事で障害が発生し、古川さんがCP/Mの説明と調整に来社された。当時のアスキーは西さんが販売し、古川さんがそれをフォローするような体制になっていた。

 その後、1985年に今の会社を創業した際には、古川さん率いるアスキー、ソフトウェア企画部からMSXMS-DOS関連の発注をいただき、会社を立ち上げることができた。古川部長の元に、成毛次長、佐藤次長(一志さん)という顔ぶれだった。右上はその当時の名刺である。

 その1年後、ソフトウェア企画部のメンバーを中心として、千代田区三番町にマイクロソフト株式会社が設立され、そこでも、WindowsプリンタードライバーやWindows NTのWOW(WindowsアプリをNT上で動かすサブシステム)、Windowsコンソーシアム、Windows NT漢字処理技術協議会などで大変お世話になった。

 また、昨年6月の丸山さん別れ会(http://bizpal.jp/eijyo/20041231)では弔辞もいただいた。

 まだ、51歳と若いので、もうひと仕事もふた仕事もできるし、エンジニアからの支持は抜群なので、是非、一緒にまた仕事をさせていただきたいと思っている。