佐賀高校は生徒3000人

 22日、一周忌の法要で、高校の先輩の佐々木さん、佐々木さんの友人の室さんと、佐賀高校の生徒数の話になった。母校佐賀西高校は一学年450人10組あった。私は5回生、佐々木さんは4回生だが、西、北、東の3校の分かれる前の佐賀高校の生徒数は1000人を超えていたと思うと話した。

 曖昧な記憶なので、早速、高校の同窓会のメーリングリストで問いかけたら、お父さんが佐高の先生だった高山くん、太田くん、そして内川先生から連絡をいただいた。

 以下、内川先生からのメールを引用する。

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 佐高は第3回生ごろからずっと1学年の定員は1,000人です。戦後のベビーブームで、第16回生は1,200人(24クラス)が入学しました。丁度、そのとき私は23組の担任でした。その翌年(昭和38年)はさらに中卒者数が増えることから、佐高は西高、北高に分離し、東高が新設されました。これを一般に三校分離とよんでいます。マンモス校分離と言うことでマスコミに随分と取り上げられました。

 西高は最初9クラスでしたが、次ぎの年に10クラス編成になり、1クラスの生徒数も55名で、すし詰め学級でした。

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 高山くんからは、全校生徒は3000人を超えており、これに蓮池分校、定時制高校なども含まれていたかどうかは不明。24組まであったとの情報もいただいた。

  

 夕方から、新橋で西校の同窓会。19名中、7名が女性。内2名は佐賀からの参加。仕事よりも、健康、子供の就職、結婚などが話題の中心であった。

 佐高の生徒数の通り、我々の上に団塊の世代が鎮座されているので、なかなか偉くなれず、皆さん部長で足踏み状態。