落語が好きになったワケ

 記憶している最初の落語は、小学校低学年の正月のテレビ。昭和30年代、正月の昼間は、どのチャンネルを回しても、志ん生柳橋や小さんが出ていた。

 落語ではないが、「週刊志ん朝」というテレビ番組も中学の頃、放映されており、洒脱な会話を楽しんだ。新潮社と志ん生志ん朝の美濃部家は同じ矢来町のご町内なので、このネーミングになったのだろうか。

 生の落語を聴いたのは、東京に出てきてから。学生時代、同じクラスに大の落語ファンがいて、彼に池袋演芸場や上野本牧亭などに連れて行ってもらった。彼は、小さん師匠の門を叩き、落語家になってしまった。今の柳家小ゑんである。

 一昨年、彼から、黒門亭という落語家の錬成道場を始めるという案内があり、2004年の正月興行に行き、病みつきになってしまった。それから、落語のCDなども聴き始めたが、柳橋のCD【写真】の解説に、「かねやすの近くに住み、誠之小学校で学び、西片町の寄席に通っていた」とあり、あまりにも身近なので、親近感が沸いた。誠之小学校はマンションから見えるし、西片の寄席とは、ご近所の鈴木邸と思われる。

 絶版となっている、佐藤光房さんの「東京落語地図」なども参考に、江戸の落語を楽しんでいる。昨日も、小田原丈が「藤むらの羊羹」を連呼していたが、この上品で美味しい、本郷三丁目の羊羹屋も、数年前に店じまいしてしまった。

 夕方、不忍池を通ると、上野のお山の鐘の音も聞こえてくる。

  

 この三連休、銀座では「大銀座落語会」という、東西の落語界あげての一大イベントが開催された。

http://www.joa.jp/6nin_no_kai/daiginza/ginza_index.html

 昨日は、それを尻目に上野黒門町に入り浸ってしまった。