丸山雄三さん お別れの会

-昨日ご紹介した、2004年6月18日、新宿センチュリーハイアットホテルで行われた、「お別れの会」でのご挨拶の全文です。これ以外にも今年は、予期せぬ出来事がたくさん起こったが、除夜の鐘で108つの煩悩を洗い流し、新しい年を迎えたいと思う。

 本日はお忙しい中、弊社の創業者で創業から19年間社長を務めました、丸山雄三のお別れの会にご参加いただきまして、誠にありがとうございます。

 2月に少し具合が悪いということで、検査入院したのですが、3月、4月と元気に仕事をしておりましたので、皆様も驚かれたと思いますが、社員一同、大変驚いています。

  

 先ほどのナレーションにもありましたが、丸山はソーシアルサイエンスラボラトリという会社でソフトウェア業界に移り、その2年後に私はソーシアルサイエンスラボラトリに入社しました。技術系で採用されたのですが、新人研修のオリエンテーションで丸山課長の「営業をやってみたい人いませんか」の声に、何となく手を挙げ、結局、それから28年間、エイセル、イーストの2社を一緒に設立して苦楽を共にしてまいりました。

 ソーシアルサイエンスラボラトリは富士通のMシリーズなど、メインフレームの基本ソフトを開発していましたが、CP/MApple IIが登場し、アルバカーキに超高速のBASICインタプリターを作った会社がある・・・などの噂もあって、大型機のソフトウェアを100人規模で開発するよりも、パソコンが面白そうだということで、1980年に5人でスピンアウトしてエイセルという会社を作りました。

  

 エイセルでは、平日は受注の仕事をこなし、土曜日にみんなで集まって「何を作ろうか?」と相談しました。創業メンバーである、渡辺はデータベース、鈴木はコンパイラが専門分野だったのですが、マイクロソフトロータス、アシュトンテート、ボーランド、ラティスなど米国企業との技術格差が大きく、彼らの参入が難しい、日本語ワープロを作ることにしました。 JwordというMS-DOS上の日本語ワープロが大ヒットしました。

 その後、イーストを我々の資本だけで設立しました。設立から5年間、がむしゃらに働いたのですが、幸いWindowsの波に乗ることができ、プリンタードライバーやWindowsアプリケーションの開発では、皆様に信頼される企業となることができました。

  

 イーストは今年、20期に入りましたが、丸山と、この一年、次の20年に向けてのプランを検討し、若い役員候補も選出していました。さすがに20年は見通せませんが、今後5年間の方向を出すことができました。

 MS-DOS上のワープロWindowsアプリケーション開発で皆様の信頼を得る事ができましたが、今、DOSWindowsに続く、第三の大きな潮流である「Webサービス」がWindowsの数100倍、数1000倍の規模で訪れようとしています。インターネットと、XMLというデータ構造を基盤としたこの仕組みは、今、様々な産業に大きな変革をもたらしていますが、この波のかなり上のほうにイーストはたどり着いています。

 ボードに乗ってサーフィンが出来るかどうか、この数年で決まりますが、Webサービスは世界中のサーバがインターネットで繋がっている前提での技術です。サーバのみならず、ここにご参集の皆様と様々なパートナーシップを組んで、一緒に事業を推進させていただければと考えています。

  

 最後になりますが、ソーシアルサイエンスラボラトリからイーストに創業時10名の社員が移りました。役員だった瀧口が亡くなり、今回、丸山も逝ってしまいましたが、残りの8名全員、今も元気にイーストで働いております。このような丸山の大きく、やさしく人を包み込む心を忘れず、会社を運営して参りますので、今後とも、よろしくお願いします。

 本日は、ありがとうございました。