MyBrain3000、VJEそしてJword

 日本で初めてのMS-DOSパソコンは、NEC PC-9800でも沖電気if-800でもなく、松下通信工業のMyBrain 3000だった。

 このマシン上で、カナ漢字変換VJEを開発したのが、一昨日、ご紹介した萩原さんである。当時の様子は以下のインタビューで知ることができる。

http://www4.airnet.ne.jp/koabe/com_inet/im/vjehagiwara1.html

 萩原さんがカナ漢字変換を開発し、当社の鈴木が日本語ワープロJword」を移植した。Jwordは8080のアセンブラ記述だったので、アセンブラ言語のコンバータを開発し、MASM(Microsoft Macro Assembler)のソースを作りコンパイルした。

 同時にCP/M-86版も作ったが、CP/Mにはリンカーが無く、1時間近く8"フロッピィディスクが動いて、やっとオブジェクトが完成。しかし、MASMには最初からリンカーが付いていたので、分割コンパイル行え、効率よく開発が行えた。私がビル・ゲイツさんを信じたきっかけは、このリンカーの存在だた。麹町、啓ビル5階のオフィスは男所帯だったので、CP/M-86の長い待ち時間、みんなビニ本を眺めて過ごした。

 1982年、今から25年前のパソコンのソフト開発は、ユッタリした時間が流れていた。